2009年6月23日 (火)

「劒岳-点の記」 新田次郎

最近は「映画化」という言葉に反応して、映画の原作を読むことが多いです。
この本も新装版で、実際はかなり前に書かれていた小説です。

劒岳―点の記 (文春文庫 (に1-34)) Book 劒岳―点の記 (文春文庫 (に1-34))

著者:新田 次郎
販売元:文芸春秋
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陸地測量部三角課の柴崎は、劒岳付近の三角点の設置の任務に就く。
だが実際には、「日本山岳会」よりも先に劒岳に登頂せよという要請(命令)でもあった。

地図(三角点)とは、このようにして設置されるものなのですね。
明治時代のこととはいえ、先人は大変な苦労をしていたものです。
家に居るよりも仕事先に居る方が長いという生活も凄いです。
まして、柴崎30歳、妻の葉津よが18歳のとき結婚したというから、葉津よさんは相当辛かったに違いありません。

今回の調査は、誰も登ったことが無いという劒岳。
柴崎は、助手や現地で雇った案内人や人夫たちと一緒に登頂を目指す。
一方では、予算の関係上、一年間で終わらせなければならないという規制付き。
まさに「お役所仕事」、現場は大変です。
小説中には、お役所同士の縄張り争いのようなことも描かれてあり、これにはいささかあきれてしまいます。

苦しみぬいて、遂に劒岳に登頂。
だが、山岳会より先んじても、過去の修験者の遺留品らしきものが発見され、上層部は興味を無くしてしまいます。
設定できるのも四等三角点(永久施設ではない補助的な三角点)のみでした。
それでも柴崎たちは重い機材を担ぎ上げて測量を進めなければなりません。

苦労の割には報われない仕事、それが測量官。
上層部には評価されなくても、彼は彼の仕事をやり遂げた。

現在はこのような苦労をしなくても劒岳には登頂できるらしいですが、過去にこのような事実があったということ、憶えておきます。

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2007年6月12日 (火)

「八甲田山死の彷徨」 新田次郎

映画もドラマも見逃していて…。
せめて原作は読んでおかなければ。

八甲田山死の彷徨 (新潮文庫) Book 八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

著者:新田 次郎
販売元:新潮社
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厳寒の八甲田への雪中行軍をすることになった「青森第5連隊」と「弘前第31連隊」。

弘前第31連隊の徳島大尉は、コースから編成まですべてを自分に任せていただきたいと主張。
過去に岩木山雪中行軍の経験を持つ徳島大尉のこの言葉に、上層部もいっさいを彼に任せることに決定する。
選抜した少数精鋭部隊を率い、案内人を立て、民家に宿泊するという計画です。

青森第5連隊の神田大尉もいろいろな調査を経て計画を立案します。
しかし、計画は変更を余儀なくされ、指揮系統も不安定、そして何よりも経験が不足していました。
編成は中隊規模、予定していた案内人は上司の山田少佐が勝手に追い返してしまいます。

任務を遂行するため、冷徹とも思えるようなな指揮をとる徳島大尉。

平民出身であることを気にかけているからなのか、上司に意見を言えない神田大尉。

予想通り、神田隊は迷走。多数の犠牲者を出すことになりました。

もちろん、この物語はドキュメンタリーではありませんので脚色は入っているとしても、物資の不足を補うために精神論を重視した当時の軍隊や、官僚による机上の理論など、いろいろな問題点が見えてきます。
このような問題点は現代でも解決していないのではないだろうか、などと考えつつも、気がつくとどんどん物語に引き込まれていきました。
機会があれば映画でも見てみようかと思うくらい堪能させていただきました。

また、この本は表紙の裏に地図が付いていて、読みながら場所の確認などをするのに便利だったことも付け加えておきます。
(こういうのって結構大事だと思います)

今まではただ漫然と知っていただけの「八甲田山」でしたが、このような事実があったのだということ、しっかりと認識しておきたいと思います。

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